茫洋たる麦畑's profile世界の終わりとハードボイルド·ワンダーランドPhotosBlogListsMore Tools Help

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    September 24

    天声人语 2008年9月24日(水)付

    あまり話題にはならなかったようだが、去る13日は、とある猫が死んで100年の命日だった。ははん、とひらめく方もおられよう。あの有名な、名前のない、漱石の猫である
    似乎完全没有人注意到,这个月的13号其实是某只猫死掉100周年的忌日。说到这里大概有人会马上想起来了吧。就是那只非常有名的,但是却没有名字的,夏目漱石的猫。
    ▼『吾輩(わがはい)は猫である』はむろん小説だが、モデルになった猫は実際にいた。朝、物置のかまどの上で冷たくなっていたそうだ。漱石は骸(むくろ)を庭に埋め、白木の墓標に〈此(こ)の下に稲妻起る宵あらん〉と、追悼の一句をしたためている
    《我是猫》虽然是一本小说,不过那作为原形的猫则是确实存在的。100年前的某天早上,那只猫在库房的灶台上渐渐变的冰冷起来。漱石把它的尸骸埋在院子里,并在竖在坟前的白木墓碑上写下“在这里就不会被夜晚的闪电所惊醒了”的悼词。
    ▼明治の末のころ、猫や犬がどれだけ飼われていたかは知らない。いまや空前のブームで、全国で実に2千万匹以上ともいう。ペットの売買やフードなど関連市場は1兆円を超すそうだから、堂々たる産業である
    明治末期究竟有多少人饲养猫狗已经无从考证了。不过现在饲养宠物已经形成了空前的热潮,据说全国共饲养有2千万只以上的宠物。与宠物买卖和饲养相关的市场已经超过1兆日圆的营业额,可以说形成了相当大的产业。
    ▼命多ければ死も多く、ペット葬祭業も増えているらしい。漱石は出入りの車屋に始末を頼んだ。1世紀の後、葬儀、納骨から喪失感のケアまで手がける所も登場した。人がペットを擬人化し、パートナーの関係を深めている証しでもある
    有生就有死,宠物的丧葬业似乎也渐渐增加了起来。漱石把猫的后事拜托给了家里的车夫。而在一个世纪之后,整个宠物的葬礼,埋葬,以及后期抚慰工作全都有专人负责。这也是人类将宠物拟人化,宠物越来越成为人类伙伴的明证。
    ▼その擬人化の、漱石は元祖である。猫好きに思われるが、そうでもなかったようだ。猫の吾輩は作中、「いかに珍重されなかったかは、今日に至るまで名前さえつけてくれないのでも分る」とぼやく。本物の猫も一生を名無しで終えた。付かず離れずが漱石流だったのだろう
    漱石可以说是这种拟人化的始祖了。也许大家以为他也很喜欢猫,不过似乎并不是这样。在《我是猫》之中有这样写道“究竟是如何的不被重视,只要知道到现在为止都没有给我取名字这一点就知道了。”实际上他养的猫也是一辈子都没有被取名字。大概这种若即若离的态度就是漱石流的特点吧。
    ▼当節はブームの一方で、腕時計を外すようにペットを捨てる人もいる。多くの猫や犬がガス室に送られるのを思えば、人間の身勝手さは同類として恥ずかしい。折しも動物愛護週間。名無しの猫が起こす稲妻と、怒りの声を、土の下から聞くようにも思う。
    不过在这宠物热潮的另一方面,将宠物好似手表一样随便丢弃的人也有很多。许多的小猫小狗被送到毒气室之中消灭,一想到这里不由得为人类同胞的自我主义而感觉到羞耻。正值爱护动物周,那无名的猫所引起的电闪雷鸣与愤怒的叫声,即便被埋葬在泥土之下也依然能够听得到吧。
    September 21

    天声人语 2008年9月21日(日)付

    『ユダヤジョーク集』(講談社)に、ヒトラーが占星術師に死期を問う話がある。ユダヤ人の祭りの日だと聞いた総統、該当する日の護衛を100倍にせよと命じる。「安心はできません」と占師。「いつお亡くなりになっても、それが祭日になります」
    在《犹太·笑话集》(讲谈社)之中有一个希特勒询问占星术士自己什么时候死的故事。占卜师说那一天是犹太人的节日,听到这个结论的独裁者马上命令要在那一天增加100倍的护卫。不过占卜师马上说道“那是没有用的,不管你什么时候死,那一天就是犹太人的节日。”
    ▼スターリンは暗殺を恐れ、そっくりの影武者を用意していたという。独裁者の孤独は底なしだ。勝手を重ねるたびに敵が増え、疑心に暗鬼が群がる。側近や身内も信じられず、やがて占師のご託宣を仰ぐ日が訪れる
    据说斯大林为了躲避暗杀,甚至还在暗中起用了替身。独裁者的孤独是深不见底的。越是忧心忡忡的设置保护措施,敌人就越多。所谓疑心生暗鬼,渐渐的连身边的亲信都不信任的时候,占卜师所预言的那一天也就到来了。
    ▼この人は今、誰とどんな話をしているのだろう。北朝鮮の金正日総書記に健康不安説が流れている。脳卒中で倒れたとの見方がもっぱらだが、かの国のこと、突然にこやかに現れるかもしれない。他方、「本物」は数年前から公の場に出ていないといった憶測もにぎやかだ
    这个“独裁者”在今时今日又演绎着什么样的故事呢?现在正流传着关于北朝鲜的金正日总书记的健康问题的传言。据说有很多人看到他因为中风而昏倒,不过在那个国家之中,恐怕会有人对此感到高兴也说不定。另外,还有人猜测他“本人”自从几年前就已经不在公共场合出席了。
    ▼情報鎖国の小穴から漏れ伝わってくる「金王朝」の後継問題。権力の移行があるのなら、混乱はどれほどで収まり、核や拉致の懸案はどう転ぶのか。「たら」と「れば」でつなぐ見通しは堂々巡りとなる
    在实行闭关锁国的政策之中所透露出来的有限的信息显示,目前朝鲜面临着“金王朝”的后继问题。权利交接的话,现在的混乱局面会有多少改善,核问题与绑架的悬案又会如何处理呢?
    ▼早大教授の重村智計氏は近著『金正日の正体』で、総書記は思想家マキャベリの「君主論」に従ってきたと説く。例えば〈愛されるよりも恐れられる方がはるかに安全である〉の教えだ
    早稻田大学的教授重村智计在近期的著作《金正日的真身》之中写道,总书记参照思想家马基雅为利《君主论》之中的论点进行统治。比如“与其让民众热爱你,不如令民众惧怕你更容易维持政权的安全”。
    ▼遅かれ早かれ、恐怖支配の悪運は尽きる。気がかりは、世界の実相も知らされず、飢えと密告におびえる民衆のことである。独裁者たちは、己の運命に民を巻き込むのが常。一朝ことあれば生身の2千万人が嵐に放り込まれると、心にとめておく。
    迟早,依靠恐怖政策来进行统治的政权会走到尽头。而令人担心的是那些不知道世间真相,只能够在饥饿与监视之中战战兢兢的生活着的民众。独裁者们常常将民众卷入自己的灭亡命运之中。一旦统治者倒下,整整两千万的民众都将陷入飘摇的动荡之中,想到都不免令人动容。
    September 20

    天声人语 2008年9月20日(土)付

    朝日俳壇にあった久世幸子さんの〈煮て焼いて漬けてまだまだ茄子(なす)の花〉に、思わず微笑した。筆者もこの夏、畑を借りて耕し、とれたナスを日々堪能した。実に丈夫に、次から次へと実が太る
    在朝日俳句专栏之中看到久世幸子所作的“煮茄子烧茄子腌茄子,还有很多茄子花”,不由得微微一笑。因为笔者自己在这个夏天也借了一片田地进行耕作,每天都享受着自己收获的茄子。看着自己的作物一天天长大,渐渐的丰收。
    ▼ほかにもトマトやインゲンなど7種類を植えた。収穫したらそのまま食卓へ。流通経路は単純素朴だ。「生産者の顔」が見たければ、鏡をのぞけばいい。農薬を使っていないのは承知だから安心できる。究極の地産地消だろう
    除了茄子,我还种了番茄和云豆等7种作物。等它们长成了就直接搬上饭桌。流通路线可以说是非常的单纯朴素。如果想要看一看“生产者的样子”的话,只要自己去照照镜子就可以了。而且因为自己清楚这些蔬菜并没有使用农药,所以也可以非常放心的食用。这就是自产自销的终极境界了吧。
    ▼そうした素朴さから、あの汚染米の流通経路は程遠かった。仲介業者が入り乱れる複雑さには驚くばかりだ。だました側なのか、だまされた側なのかも分かりにくい。あげくに、まじめな商いをしていた「被害者」が実名公表で泣かされた
    这种朴素的流通路线与污染米的流通路线相比,真是相去甚远。对于被中间人搞乱的流通路线的复杂性,每个人都会感觉到惊讶吧。甚至分不清谁是骗人的一方,而谁又是被骗的一方。到最后,那些认真的做着买卖的“被害者”反倒被实名公布了,实在是让人欲哭无泪。
    ▼そのさまを、農業を営む民俗研究家の結城登美雄さんが、「食べ物を生み出す場所から見ていると、ずいぶん遠いところで起きた事件」に思えると本紙で述べていた。生産者と消費者を隔てる経済の仕組みへの、一つの警鐘と感じつつ拝読した
    对于这种现象,专门研究农业的民俗研究家结城登美雄先生在接受本报采访的时候说道“从生产粮食作物的地方来看,这一事件实在是发生在相当遥远的地方”。从中我们可以感受到,粮食生产者与消费者之间相隔遥远的这种经济模式,已经向我们敲响了警钟。
    ▼外米ならずとも、農家と食卓の間では多くの人と伝票が動く。消費者はいつしか、生産の場から遠いところで「食べる人」を決め込んでいたのではないか。ささやかな野菜作りの体験をへて、ちくりと反省が胸を刺す
    即便不算进口大米的流通方式,单纯的农家与饭桌之间就有为数众多的人员和手续在交错忙碌着。身为消费者无论何时,都是处在一个远离生产场所的位置,只能够做一个“食客”。笔者只是稍微亲自感受了一下种菜的体验,便有了这样深刻的反省。
    ▼汚染米問題はきのう、太田農水相の辞任へと展開した。反省ゆえか、投げ出しか、それとも選挙前の厄介払いなのか。ナスの花はよく実を結び「千に一つも仇(あだ)はない」と言う。それに比べてこの役所の「あだ花大臣」の続出には、怒りを通り越して情けない。
    污染米问题在昨天也以太田农水相的辞职开始进行处理。这是一种反省?还是一种避重就轻?亦或只是一种在选举前的党同伐异?茄子只要开花就一定会结出果实,所以有“千花无一败”之说。与此相比,政府之中“空花大臣”的接二连三出现,则实在是让人出离愤怒了。